唐王朝の高僧、鑑真は何回目の渡海にて失明した?実績や書籍なども調査しました!

2020年4月22日






こんにちわ(^^)かわせみです。

今日は日本の歴史のお話です。

『鑑真』というお坊さん。

今では、中国から日本に来るのは、

飛行機でスイーっ

という感じですが、

およそ1000年前だと、そうも行かなかったようです、、、(^^ゞ

唐王朝の高僧、鑑真は何回目の渡海にて失明した?実績や書籍なども調査しました!

  1. 唐王朝の高僧、鑑真は何回目の渡海にて失明した?
  2. 唐王朝の高僧、鑑真の実績や書籍なども調査しました!

唐王朝の高僧、鑑真は何回目の渡海にて失明した?

こんにちわ(^^)かわせみです。

私子供ときから、歴史が好きでした。

日本の歴史で一番すきだったのは、

『漢』や『唐』との日本の国交のお話や

『戦国時代』なんですが、

754年1月16日

数度にわたる海上遭難で失明しながらも、

遣唐船の帰国便に乗って来日された鑑真さんの

お話も大好きです。


最初は、鑑真本人が行く予定ではなかったそうです。

弟子に呼び掛けても

誰も立候補しなかったので、

自分が行くことにしたとのこと。

 

しかし、そうなると、

お師匠様に行って欲しくないものだから

周りの弟子達が色々と邪魔をした結果、

日本に来るまでに5回もかかり、

5回目の旅路での疲れが原因で

失明してしまいました。。゚(゚´Д`゚)゚。

 

人が成長する為の行動を

起こすとき、必ずこういうことが

起こるのですが、

仏教の用語で第六天魔王の作用

なんて言ったりします。


ちょっと脱線してしまいましたが、

自分の命を賭して、日本に来てくださったから

こそこの国に仏教が定着しただと思い、

只々感謝するばかりであります。

 

あれ?阿倍仲麻呂は逆鑑真さんかな?

(^^ゞ






唐王朝の高僧、鑑真の実績や書籍なども調査しました!

失明をしてまで来日をしてくださった鑑真さん。

実際どんなことをしたのかというと、

754年1月23日に大宰府に到着し、

大宰府観世音寺に隣接する戒壇院で初めての授戒を行いました。

翌年の754年2月4日に平城京に到着して

聖武上皇たちの歓迎を受けました。

その後、上皇から僧尼まで400名に菩薩戒を授けました。

菩薩戒や授戒という言葉って何?

と思われるかもしれませんが、

後々記事にする予定になっていますので、

ココではキリスト教でいうところの

「洗礼」のイメージでお願いします。

 

小学校の歴史では、偉い坊さんが

失明してまで日本に来て仏教を広めてくれた

ぐらいの軽い書き方をしていますので、

凄いことをした方というイメージは

あまりない方も多いと思いますが、

この記事をきっかけにして、

「鑑真」さんの本を手にとってみては

いがかでしょうか?(^^)

 

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