招き猫の由来や小判を持っている理由は!?寺との関係も調査!

2019年8月27日

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こんにちわ(^^)かわせみです。

今日は、招き猫にかんするお話です。招き猫を置く意味や招き猫が

なぜ誕生したのかを紹介したいと思います。

 

ラーメンズ解散?

  1. 招き猫誕生の由来と縁起物の置物としての意味は?
  2. 寺との招き猫の関係って何!?

招き猫誕生の由来と縁起物の置物としての意味は?

私の机の上になにげに飾られている招き猫。

左手には「大入」と書かれた小判を持ち、

右手には「小槌」をもって、大黒様を思わせる

格好。ちょっと欲張ってない?とたまに思います。

 

ここで、ふと疑問が生まれました。

なんで、猫が小判もってんのよ?

「猫に小判」ってゆうぐらいなのに?

っと疑問が浮かんでしまったので、

調べてみました。

 

「招き猫」が生まれた理由は何通りかあり、

1.江戸時代、貧しいおばあさんが飼っている猫を売った

  その晩その猫が枕元に現れ、

 「私の姿を人形にしたら、幸せになれるよ」

  といったとのこと。

  その言葉の通り、猫の人形(焼き物)を作り、

  浅草神社の鳥居の横で打ったら飛ぶように売れた

  という説。

2.室町時代のある武将が戦いで負けそうになっているときに、

  猫が現れ、自性院という寺に手招き?されたとのこと。

  一時、お寺に逃げられた結果、戦局が一変して勝利しました。

  その武将はその猫が死んだときに、猫の形をしたお地蔵を

  寄付したものが時代と共に変化したという説。

とまあ、軽く調べただけでも、結構な数が上がってきました。

全部調べたらキリがないので、このへんで、

 

なぜ、招き猫が縁起物になったかというお話に(^^)

 

太古のころから猫は、

ネズミを駆除する生き物だった為、重宝されていました。

農作物をネズミから守る猫は大変大事な生き物でした。

 

時代をへて

 

明治時代に日本でも産業革命が起こり、

養蚕が盛んになりました。

大事な蚕やその餌をネズミから守る神様?

という意味で養蚕を営むところには

必ず置くようになったそうです。

 

絹製品は大変貴重なもの。

それを守るという意味だったのでしょうが、

養蚕業が衰退していっても、

絹=貴重なもの=財産

と転じて、招き猫が財産を守るという意味合いに

なったそうです。

 

結構長くなってしまいました。

それだけ日本の歴史に絡んだ置物なのですね(^^)






寺との招き猫の関係って何!?

招き猫が出来た一番有力な説が、

井伊直孝(井伊直弼のご先祖)が鷹狩りをしているときに、寺の飼い猫が門の前で手招きするような仕草をしていたので、寺で休憩することになったそうです。

 

しばらくすると雷雨が降りはじめ、井伊直孝は濡れずにすんだことを喜こび、

後日荒れていた寺にお金を寄付して綺麗なお寺にしたとのこと。

この寺の和尚はこの猫が死ぬと墓を建てて弔った。

後世に境内に堂が建てられ、その堂の猫の地蔵が片手を挙げている姿を

真似て生まれたのが「招き猫」というもの。

 

「招き猫」の説があるくらいのこのお寺・豪徳寺ですが、

とんでもないぐらいの数の招き猫があるんです。

たくさんの招き猫があるのですが、

このお寺には小判をもった猫が1匹もいません!! Σ(゚Д゚)

 

本来の招き猫はものを持っておらず、

右手は金運を、左手は人(客)を招くそうです。

小判は時代を経てのアレンジなのでしょうね(^^)

 

招き猫の力も借りて、金運と商売繁盛に努力しましょう(^^)

 

 

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