招き猫の由来や小判を持っている理由は!?寺との関係も調査!
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こんにちわ(^^)かわせみです。
今日は、招き猫にかんするお話です。招き猫を置く意味や招き猫が
なぜ誕生したのかを紹介したいと思います。
ラーメンズ解散?
招き猫誕生の由来と縁起物の置物としての意味は?
私の机の上になにげに飾られている招き猫。
左手には「大入」と書かれた小判を持ち、
右手には「小槌」をもって、大黒様を思わせる
格好。ちょっと欲張ってない?とたまに思います。
ここで、ふと疑問が生まれました。
なんで、猫が小判もってんのよ?
「猫に小判」ってゆうぐらいなのに?
っと疑問が浮かんでしまったので、
調べてみました。
「招き猫」が生まれた理由は何通りかあり、
1.江戸時代、貧しいおばあさんが飼っている猫を売った
その晩その猫が枕元に現れ、
「私の姿を人形にしたら、幸せになれるよ」
といったとのこと。
その言葉の通り、猫の人形(焼き物)を作り、
浅草神社の鳥居の横で打ったら飛ぶように売れた
という説。
2.室町時代のある武将が戦いで負けそうになっているときに、
猫が現れ、自性院という寺に手招き?されたとのこと。
一時、お寺に逃げられた結果、戦局が一変して勝利しました。
その武将はその猫が死んだときに、猫の形をしたお地蔵を
寄付したものが時代と共に変化したという説。
とまあ、軽く調べただけでも、結構な数が上がってきました。
全部調べたらキリがないので、このへんで、
なぜ、招き猫が縁起物になったかというお話に(^^)
太古のころから猫は、
ネズミを駆除する生き物だった為、重宝されていました。
農作物をネズミから守る猫は大変大事な生き物でした。
時代をへて
明治時代に日本でも産業革命が起こり、
養蚕が盛んになりました。
大事な蚕やその餌をネズミから守る神様?
という意味で養蚕を営むところには
必ず置くようになったそうです。
絹製品は大変貴重なもの。
それを守るという意味だったのでしょうが、
養蚕業が衰退していっても、
絹=貴重なもの=財産
と転じて、招き猫が財産を守るという意味合いに
なったそうです。
結構長くなってしまいました。
それだけ日本の歴史に絡んだ置物なのですね(^^)
寺との招き猫の関係って何!?
招き猫が出来た一番有力な説が、
井伊直孝(井伊直弼のご先祖)が鷹狩りをしているときに、寺の飼い猫が門の前で手招きするような仕草をしていたので、寺で休憩することになったそうです。
しばらくすると雷雨が降りはじめ、井伊直孝は濡れずにすんだことを喜こび、
後日荒れていた寺にお金を寄付して綺麗なお寺にしたとのこと。
この寺の和尚はこの猫が死ぬと墓を建てて弔った。
後世に境内に堂が建てられ、その堂の猫の地蔵が片手を挙げている姿を
真似て生まれたのが「招き猫」というもの。
「招き猫」の説があるくらいのこのお寺・豪徳寺ですが、
とんでもないぐらいの数の招き猫があるんです。
たくさんの招き猫があるのですが、
このお寺には小判をもった猫が1匹もいません!! Σ(゚Д゚)
本来の招き猫はものを持っておらず、
右手は金運を、左手は人(客)を招くそうです。
小判は時代を経てのアレンジなのでしょうね(^^)
招き猫の力も借りて、金運と商売繁盛に努力しましょう(^^)
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