聖徳太子(厩戸皇子)は実在の人物?三宝興隆の詔とは!
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こんにちわ(^^)かわせみです。
今日は日本の歴史のお話です。
今からおよそ、1500年前の飛鳥時代のお話です。
日本ってホントに歴史のある国なんですね(^^)
聖徳太子(厩戸皇子)は実在の人物?三宝興隆の詔とは!
聖徳太子(厩戸皇子)は実在の人物?
私、カワセミは歴史が大好きなんですが、
ここ最近は色々、歴史の解釈が変わってきていて、
再度勉強中であります
(`・ω・´)ゞ
さて、飛鳥時代の政治家の一人、聖徳太子
彼の功績は素晴らしく、
「憲法十七条」の制定
「冠位十二階」制度の導入
「遣隋使の派遣」など
数多くの功績がありますが、
最近の歴史研究では、聖徳太子は存在しなかった!!
というのが有力です
Σ(゚Д゚)
その根拠としては、
(1)冠位十二階などは「多くの人の手によって」完成した
(2)憲法十七条は彼の死後に完成した
(3)遣隋使は小野妹子よりも前から派遣されていた
とのことが理由だそうです。
(1)と(2)については、一人で作るには
膨大すぎる仕事量であること
(3)は時間の食い違いだそうです。
では、なんで「聖徳太子」という名前の人が歴史の中に
登場したのでしょうか?
聖徳太子 pic.twitter.com/skAcxDG3E4
— 橋本ライドンまんが (@hashimotorideon) August 4, 2020
それは、天武天皇が即位してまもなく、
中央政権を作る上で天武天皇自身が優秀であることを
証明する為に、約50年前に存在した直系の祖先の
厩戸皇子(うまやとおう)の優秀さを利用して
「冠位十二階」「憲法十七条」「遣隋使派遣」などの
制度を全部、厩戸皇子の功績としたのが起因とされています。
そしてこのときに
厩戸皇子=聖徳太子
が誕生した瞬間です。
(ご当地キティ) 奈良ハローキティ 聖徳太子バージョン 根付ストラップ
太古昔の話なので、水に流すとしましょう(^^)
三宝興隆の詔とは何のこと?
聖徳太子もとい厩戸皇子が活躍した飛鳥時代
厩戸皇子は推古天皇の摂政をしていました。
当時女性が天皇になったとき、
政治をする代わりの人がすることになっていました。
推古天皇は仏教を用いて日本を統治しようと考えて、
仏法を大事にするために寺院を建てることを推奨する
命令(詔:みことのり)を出しました。
日本で最初にお盆を行ったのは推古天皇で、今から1400年も前の飛鳥時代です。長い間、貴族や僧侶だけが行う特別な行事でしたが、江戸時代に入ると、ろうそくや提灯が大量生産されたこともあって、一般の人々の間に定着しました。 pic.twitter.com/buyKa7sQEa
— セトG (@setog_) August 7, 2020
594年2月1日のことです。
推古天皇や聖徳太子が活躍した時代から
1500年が経ち、経済的には豊かな国になりました。
しかし、
推古天皇が目指した日本になっているか?
今一度みんなで考えて見てみませんか?
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