加藤清正は本当に虎退治をした?真相や家紋、死因も調べてみました!
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こんにちわ(^^)かわせみです。
CM好きの私なんですが、
歴史も大好物なんです。
最近の歴史書物を読んでいて私の歴史常識が
ぶっ壊れている最中ですが、
今回の記事「加藤清正」さんのお話も、
そんな感じなのです、、、(^^ゞ
加藤清正は本当に虎退治をした?真相や家紋、死因も調べてみました!
加藤清正は本当に虎退治をした?
「賤が岳の7本槍」といわれる一人の猛将、加藤清正さん。
朝鮮出兵のとき、虎を退治したとの勇壮な逸話は作り話といわれています。
しかし、近年では実話との説が有力だそうです。
その根拠が
清正さんの孫娘が嫁いだ紀州の徳川さんところに伝わる『加藤文書』という
書類に、虎狩りの命令を秀吉さんから受けた
とのことです。
また徳川美術館に所蔵されている大小2つの虎の頭蓋骨が
そのとき退治された虎の頭だとの説もあります。
うんうん、なるほど(^^)
と思いましたが、別の調べだと、
清正さんは秀吉さんから期待されていたのは、
財務官僚としての役割だったそうです Σ(゚Д゚)
トラと戦う財務官僚!!
そんなの聞いたこともありません!!
清正さんは秀吉さんと縁があって、
秀吉さんが近江長浜城のお殿様になったとき、
小姓(部下)になって天正4年(1576年)に
お給料170石で契約したそうです。
※1石はひとりの日本人が1年かけて食べるご飯の量です。
※当時のサラリーマンはもらったお米を売って生活をしていました。
お金の計算で出世した秀吉さんなので、
秀吉さんは清正さんにすごく期待をしていたのは、
よくわかります。
おそらく朝鮮出兵の際に、
「虎退治の加藤清正」
という情報を朝鮮に掴ませて、
清正さんを恐れさせる戦法だったのではないでしょうか?
加藤清正の家紋や死因も調べてみました!
戦国武将の話しがでたので、
家紋も調べてみました。
清正さんは生涯で2つの家紋を使っています。
1つは 『 蛇の目紋 』、
スーパーカップのフタ開けたっけさ、
蛇の目紋◎になっててね、
せいしょこさん(*´∀`)♪てなりましたとさ。#蛇の目紋 #清正公さん pic.twitter.com/J8WLzSaBNf— たかしほ️(…) (@taka_S_hiho) March 24, 2017
もう1つは、 『 桔梗紋 』です。
桔梗紋の小物入れを注文頂きました!斜めにもおけます。#家紋入り #桔梗紋 #明智光秀 #小物入れ #猫瓶 #ハンドメイド #玄粋 #和風小物入れ pic.twitter.com/6ChafS0v9B
— gensui_shop (@Gensui_shop) August 21, 2018
蛇の目紋は、熊本に転勤になるまで、
桔梗の紋は、熊本に転勤になったあとだそうです。
家紋が代わるきっかけは、
上司(秀吉さん)の部下の一人(尾藤知宣さん)が
失敗したときに、その人が持っていたものを
清正さんが引き継いだそうです。
今も昔も、サラリーマンは上司からの命令で
あっちにいったり、尻拭いをしたり、
一緒にお酒を飲む機会があったなら、
「上司の愚痴」は
共通の話題になったかもしれませんね (^^ゞ
また清正さんの死因も、2019年現在と共通しているかもしれません。
『清正記』という書物に遺体をみた様子を
「身もこかれくろくなられける」とあり、
劇症肝炎などによる急性黄疸(肝臓の病気)の可能性
があるそうです。
また、
浅野幸長さんや
結城秀康さん、
徳川忠義さんも
同じような病気でなくなっています。
病名は『梅毒』だそうです。
一旦は根絶したように見えた梅毒ですが、
昨今では、若者を中心に流行しているようです。
やはり、今も昔も
『英雄、色を好む』でしょうか ┐(´д`)┌ヤレヤレ
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