池坊専好(2代)が禁中で立花したのはいつ?現在は何代目?
こんにちわ(^^)かわせみです。
今日は『立花』のお話。
『立花』って何?と皆さんは
思っていると思いますが、
一番思っているのは、
記事を書いている私だったりします (^^ゞ
池坊専好(2代)が禁中で立花したのはいつ?現在は何代目?
池坊専好(2代)が禁中で立花したのはいつ?現在は何代目?
こんばんわ、カワセミです。
『立花』ですが、
生花の1つなんですが、
この『立花』を確立して、
後水尾天皇の前で花を立てたのが
1629年1月10日です。
そして、天皇の前で花を立てたのは、
池坊専好(2代)という人です。
【NEW】「花戦さ」メイキング映像2 https://t.co/q8qhEd80Ah #花戦さ #野村萬斎 #市川猿之助 #中井貴一 #佐々木蔵之介 #佐藤浩市 #篠原哲雄 #池坊専好 pic.twitter.com/yi30fPwl6s
— 映画.com (@eigacom) June 6, 2017
その後、この出来事を契機に
「寛永大立花」と称される立花ブームが
おこりました。
時代としては、室町幕府(戦国時代)、
茶の湯に代表される、
『侘び寂び』が教養人とされていた
時代なので『立花』(生花)が流行ったのも分かるような気がします。
さて、池坊専好についですが、
応仁の乱の末頃に華道の精神を説いた立花
池坊専栄が祖(初代)で
専好が2代目です。
評判がさらに評判をよび
時の権力者(豊臣秀吉)などにも
声をかけられるようになりました。
そんな時代から脈々と
『池坊専好』の名は受け継がれることに
なりました。
能の花 能を彩る花 第1回「菊」
(平成29年10月28日)https://t.co/6g7cWnROyThttps://t.co/CnWwPhXy18旧暦の重陽の日に菊慈童。
菊の花の選び方が素敵でした。#能 #復曲能 #復曲 #菊慈童 #酈縣山 #梅若玄祥#華道 #池坊 #池坊専好#重陽 #菊 #キク#能楽堂 #横浜能楽堂 #横浜 pic.twitter.com/PDnRgqPRS0— 久々利 (@oomori_nemoto) November 18, 2017
伝統と格式、これぞ日本の文化です(^^)
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません