加藤清正は本当に虎退治をした?真相や家紋、死因も調べてみました!

2020年3月2日

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こんにちわ(^^)かわせみです。

CM好きの私なんですが、

歴史も大好物なんです。

最近の歴史書物を読んでいて私の歴史常識が

ぶっ壊れている最中ですが、

今回の記事「加藤清正」さんのお話も、

そんな感じなのです、、、(^^ゞ

加藤清正は本当に虎退治をした?真相や家紋、死因も調べてみました!

  1. 加藤清正は本当に虎退治をした?
  2. 加藤清正の家紋や死因も調べてみました!

加藤清正は本当に虎退治をした?

「賤が岳の7本槍」といわれる一人の猛将、加藤清正さん。

朝鮮出兵のとき、虎を退治したとの勇壮な逸話は作り話といわれています。

しかし、近年では実話との説が有力だそうです。

その根拠が

清正さんの孫娘が嫁いだ紀州の徳川さんところに伝わる『加藤文書』という

書類に、虎狩りの命令を秀吉さんから受けた

とのことです。

また徳川美術館に所蔵されている大小2つの虎の頭蓋骨が

そのとき退治された虎の頭だとの説もあります。

 

うんうん、なるほど(^^)

と思いましたが、別の調べだと、

清正さんは秀吉さんから期待されていたのは、

財務官僚としての役割だったそうです Σ(゚Д゚)

 

トラと戦う財務官僚!!

そんなの聞いたこともありません!!

 

清正さんは秀吉さんと縁があって、

秀吉さんが近江長浜城のお殿様になったとき、

小姓(部下)になって天正4年(1576年)に

お給料170石で契約したそうです。

 

※1石はひとりの日本人が1年かけて食べるご飯の量です。

※当時のサラリーマンはもらったお米を売って生活をしていました。

 

お金の計算で出世した秀吉さんなので、

秀吉さんは清正さんにすごく期待をしていたのは、

よくわかります。

おそらく朝鮮出兵の際に、

「虎退治の加藤清正」

という情報を朝鮮に掴ませて、

清正さんを恐れさせる戦法だったのではないでしょうか?






加藤清正の家紋や死因も調べてみました!

戦国武将の話しがでたので、

家紋も調べてみました。

清正さんは生涯で2つの家紋を使っています。

1つは 『 蛇の目紋 』、

 

 

もう1つは、 『 桔梗紋 』です。

 

蛇の目紋は、熊本に転勤になるまで、

桔梗の紋は、熊本に転勤になったあとだそうです。

 

家紋が代わるきっかけは、

上司(秀吉さん)の部下の一人(尾藤知宣さん)が

失敗したときに、その人が持っていたものを

清正さんが引き継いだそうです。

 

今も昔も、サラリーマンは上司からの命令で

あっちにいったり、尻拭いをしたり、

一緒にお酒を飲む機会があったなら、

「上司の愚痴」は

共通の話題になったかもしれませんね (^^ゞ

 

また清正さんの死因も、2019年現在と共通しているかもしれません。

『清正記』という書物に遺体をみた様子を

「身もこかれくろくなられける」とあり、

劇症肝炎などによる急性黄疸(肝臓の病気)の可能性

があるそうです。

 

また、

浅野幸長さんや

結城秀康さん、

徳川忠義さんも

同じような病気でなくなっています。

病名は『梅毒』だそうです。

 

一旦は根絶したように見えた梅毒ですが、

昨今では、若者を中心に流行しているようです。

 

やはり、今も昔も

『英雄、色を好む』でしょうか ┐(´д`)┌ヤレヤレ

 

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