越後の聖僧「大愚」良寛、って何をした人、逸話は?

2020年1月30日






こんにちわ(^^)かわせみです。

今日はお坊さんのお話。

私もあんまりお坊さんのお話に興味はないのですが、

半分ぐらい仕事なので、仕方ありません 。゚(゚´Д`゚)゚。

越後の聖僧「大愚」良寛、って何をした人、逸話は?

    1. 越後の聖僧「大愚」良寛、って何をした人、逸話は?

 

越後の聖僧「大愚」良寛、って何をした人、逸話は?

こんにちわ(^^)かわせみです。

今回は、お坊さんのお話です。

 

今はお坊さんというのは、

そんなに身近にいる存在ではなくせいぜい、

人がおなくなりになったときか、

 

12月に家に読んでお話を聞くぐらいの存在でしかありませんが

昔の人にとっては、大きな存在だったようです。

 

数多くの逸話を残す

越後の聖僧良寛和尚が、

74歳でお亡くなりなったのは1831年1月6日

大愚・良寛というとまだ馴染みがある方が多いようです。


お酒を買いにいって、

月に見とれてしまい、

お酒を買う、お使いを忘れてしまう人。

 

私の印象はそんな感じです。

あんまり関わりたくない人ですよね (^^ゞ

 

買い物を頼んで忘れられるんですから、

そもそもこんな大物の方は、

私のような小物とはお相手してくれないかもしれませんね(^^)






当時の人は自由人

なんて呼んでたみたいですが、

この良寛という坊さん。

禅僧の人で、

『禅』で悟りを開こうとした坊さんです。

 

ちなみに

みなさんもご存知の『一休さん』も禅僧の人です。

『禅』の坊さんは変わり者が多いですね。

 

アニメの『一休さん』はわりと見ていて変わり者ではない風に見えますが、

とある回の放送で、

 

お正月に頭蓋骨を長い棒に突き刺し、

京都の街中を歩くという

お茶の間を和やかにさせる一休さんとは別物の回がありました。

 

当然、縁起の良いとされる日『正月』にそんなことをされた、

町の人たちは石を投げつけていました。

 

史実の一休さんこと、『一休宗純』和尚とは、
こんな人でした。

 

ちなみ、こんなことをした心は、

正月が来て一つ歳をとったのだから、死ぬのに一歩近づいたんですよ。

あんまり浮かれてばかりもいられないんですよ

といいたかったそうです。(^^ゞ

 

 

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