お金の歴史や起源を本や年表で調べました!子供に理解できる様に解説します!
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目次
【大むかし】
お金が無かったころは物々交換が物を得る手段でした。
しかし
物の価値を測る手段が人それぞれだったことから、
①誰にでも価値が分かり、
②分けることができ、
③持ち運べるものとして、
お金が誕生しました。
有史、始まってのお金(物品貨幣)は
布、穀物、砂金など
の品物が交換の手段として使われるようになりました。
【紀元前】
中国の殷・周の時代(紀元前17世紀頃)には、
宝貝が物品貨幣として使用されていました。
お金に関係のある漢字に貝のつくものが多いのはそのためです。
物品貨幣のなかでは、金属(金、銀、銅)が
他の物に代わって広く用いられるようになりました。
紀元前8世紀頃になると、
中国では農具、刃物をかたどった布幣や刀幣などが
造られるようになりました。
【奈良時代】
さて舞台は変わり、
日本でのお金はというと
西暦621年に「開元通宝」という優れた貨幣が
遣唐使などによって日本に伝えられました。
この開元通宝をモデルに、
708年に「和同開珎」や「富本銭」が
日本最古の貨幣とされていました。
※富本銭が日本最古の貨幣かどうか、
さらに研究と調査が進められています。
708年の和同開珎以降、
250年の間に12種類(皇朝十二銭)の貨幣が
造られました。
しかしこの鋳造は失敗に終ります。
理由は
①その流通範囲は主に近畿地方に限定
②材料不足からの質の低下の為
民衆の銭離れが起こり、政府の力も弱体化し
10世紀末には朝廷での鋳造は中止されました。
皇朝十二銭以後、
約600年間は、公鋳貨幣が造られなくなるのです。
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【平安・鎌倉・室町時代】
10世紀末からの約200年間は、
米や絹などの物品貨幣が利用されていましたが、
平安末期になると、
金属貨幣に対する需要が高まり、
中国等との貿易を通じて
流入してきた貨幣(渡来銭)が日本国内でも
使われるようになりました。
渡来銭だけでは貨幣が不足していたことから、
室町時代になると、
渡来銭を真似た貨幣が大量に造られました。
特に明(1368 – 1644)の「永楽通宝」は
質が良く、16世紀後半頃から各種流通貨幣の
価値を計る基準となりました。
これらの貨幣は、江戸時代の初めまで
人びとの日常生活に用いられました。
【安土桃山時代】
16世紀に入ると、
商工業の発展で貨幣の需要が増大しました。
一方、
戦国大名は軍資金の調達や家臣への報奨物として
金銀に目を向けました。
領内の鉱山を開発し、
独自の金銀貨を鋳造するようになりました。
これらの領国貨幣は、
約150年にわたって流通していました。
豊臣秀吉が鋳造させた貨幣の多くは
恩賜・贈答を目的としていましたが、
なかでも「天正長大判」は世界最大の金貨として有名です。
【江戸時代】
徳川家康は貨幣制度の統一に着手し、
慶長6(1601)年に慶長金銀貨を発行しました。
寛永13(1636) 年、三代将軍家光の時代に「寛永通宝」が造られています。
寛文10(1670) 年には渡来銭の通用が禁止された為、
貨幣制度は完全にわが国独自のものになりました。
※金・銀・銭、3種の貨幣制度を
「三貨制度」といいます。
【江戸時代:例外】
一方、伊勢山田地方の商人の信用に基づいた
紙幣(山田羽書(はがき) )が出現。
各藩でも領内で通用する藩札(紙幣)が
発行されるようになりました。
【江戸時代:元禄】
貨幣素材の不足や財政事情の悪化の為、
貨幣の改鋳(改悪)が度々行われました。
その結果貨幣制度は乱れていきました。
三貨制度の体系図(1700年ごろ)
金貨(計数貨幣)…1両=4分=16朱
金1両=銀60匁=銭4000文
(元禄の改鋳の直後です。)
【明治時代】
明治新政府は当初、通貨制度を整備せずに
江戸時代の金銀銭貨や藩札を
そのまま通用させていました。
また、
通貨不足解消のために
『太政官札』や『民部省札』などを発行、
さらには民間の為替会社にも紙幣を発行させました。
結果、交換比率が非常に複雑になり、
また偽造通貨も横行するなど
通貨制度は混乱をきわめました。
そのため、明治4(1871)年に
「新貨条例」を制定しました。
単位も「両」から「円」にあらため、
さらに10進法を採用するというものです。
本位貨幣である金貨とは別に外国との貿易用に貿易銀として
1円銀貨を通用させました。
※実質的には金銀複本位制
明治5(1872)年に、政府は旧紙幣を回収し、
流通している紙幣を統一するために、
新紙幣「明治通宝(ゲルマン紙幣)」を発行しました。
政府は明治14(1881)年に「明治通宝」に
偽造が多発したことからデザインを一新した
改造紙幣を発行しました。
わが国最初の肖像画入りの政府紙幣です、
明治5(1872)年に「国立銀行条例」を制定しました。
この結果全国で153の国立銀行が設立され、
これら国立銀行には、一定の発行条件のもと、
紙幣が発行されました。
明治10(1877)年の西南戦争の勃発に伴い、
激しいインフレが発生しました。
こうした状況を回避し、
通貨価値の安定をはかることの必要性が認識され、
明治15(1882)年、中央銀行としての日本銀行が設立されました。
日本銀行券は、
明治18(1885)年に銀貨と引換えのできる兌換銀券として、
はじめて発行されました。
明治32(1899)年に通用停止となり、
わが国の紙幣は日本銀行券に統一されました。
【戦時中、戦後】
昭和13(1938)年には、「臨時通貨法」が制定され、
金・銀・銅以外の新しい素材の金属によって
補助貨幣が発行できるようになりました。
昭和17(1942)年の日本銀行法制定により、
日本は金本位制から管理通貨制度へ移行しました。
昭和21(1946)年、わが国は戦後激しいインフレに見舞われたため、
「新円切り替え」がおこなわれ、
応急処置として旧札に「証紙」を貼って通用させました。
昭和25(1950)年には新しく千円札が発行され、
以降紙質のよい、多色刷りの紙幣がつくられるようになりました。
以上、
お金の歴史(日本)でした。
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