ステージ4のガンにいたった親族の生存率は?宣告するか?しないか?家族の態度は?
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イントロダクション
ども、管理人のかわせみです。
本日も、以前のブログ記事の掲載です。
昨今、日本人の2人に1人がガンに羅患する時代となりました。
それは、ガンの比率が高まったのではなく、
医療の進歩によって、他の病気によって亡くなられることよりも、
ガンに羅患して、お亡くなられることが多くなっているからです。
私自身もおよそ、10年前実の母親を、
ここ最近お義父さん、お母さんを同じくガンで
なくしました。
自分の親や兄弟、最愛の人がガンになったとき、
あなたは冷静でいられますでしょうか?
この記事は、そんなとき私達3兄弟がどのようにガンが発覚し、息を引き取るまでの
1年弱のお話です。
もし、この記事が同じような経験をされている方への1つの参考になればと思って
おります。
【10年前のある日】
3月末の夕方、忙しく来月の準備をしているころ
(この仕事も、月末・月初は忙しい)
親父から電話が入る。
「おかん(母親)なぁ。癌やねんて。一回こっち帰ってこいや。」
「うん。わかった。でも今忙しい最中やから、
すぐには無理やけど2週間以内には一回帰るわぁ」
と言って電話を切る。
仕事をせくせくしていて結構な時間になったことに気がついたので、
カミサンに連絡を入れる。
「明日の準備で忙しいやわ。まだ少し変えられへんわ。ゴメンなぁ」
「あっ。そうそう。さっき、おとん(父親)から連絡あってな。
おかんが癌で入院してるんやって。」
カミサン怒る怒る。
「あんた、そんなところでなにやってんのよ~ぉ!!!!。
上司に訳を話して早く帰ってきなさい!!!」
すぐに上司にその旨を話すと、
「さっさと帰りなさい。お母さんの状況教えてな」
とのこと。(明日は大変なのに)感謝です。
車の中での帰宅途中、いろいろ考えてしまう。
帰宅してから、父親、兄弟2人と電話で連絡をとる。
抑えていたものが堰を切ってあふれ出す。
泣きじゃくる私の背中をそっと抱きしめてくれたカミサン(ありがとう)
明日、大阪に帰ります。
「母親の前では決して涙を流さないように、
いつもと同じように笑っていよう」と家族に伝えに。。。
【大阪にて】
大阪に帰り、病院に向かう。途中で泣き出しそうになるのを我慢するのに苦労した。
本人は至って普通の表情で、病院に向かう途中で連絡したときに、
「たこ焼きが食べたいから、こうてきて(買ってきて)」
「。。。。。わかった。」
ほんまに病気なんかなぁ。と少し疑う。病気がウソであって欲しかった。
医者曰く、「余命1ヶ月かと思われるので、急遽親族にきてもらいました」とのこと。
先日の電話を思い出しました。
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3男以外の家族は延命治療を望まなかったのですが、
3:「おれはまだ、おかん(母親)に長生きして欲しいねん。」
3:「おかんが作った飯まだまだ食べたいねん」
3:「おかんにまだ孫の顔みせてないから、見せたいねん」
わ:「おかんは、延命を望まんと俺は思ってる。」
わ:「俺も延命は望まん。なんでか分かるか?」
わ:「ガンの延命はめっちゃしんどいんやで。生きてるんちゃうんやで。
生かされてるんやで。」
わ:「直る段階なんやったら、俺も手術して欲しいけど、無理なんやで」
わ:「今までシンドイ人生やったのに、最後の最後までシンドイことしろって
俺は絶対いわれへん。」
わ:「残された時間が少ないかもしれへんけど、
最後までおかんには笑ってもらおうや」
わ:「俺は遠いところにいるから、直接おかんと一緒に笑われへんけど、
お前たちが一緒に笑えるようにサポートするから」
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本人への告知は私が到着する前日に3男がしました。
おかんは延命を拒否しました。
「体のいたるところ触られて、切られたりすんのイヤや」
おかんらしい発言だなと思った今日この頃です(笑)。
PS 母親はこんな言い方しかできない人だけど、私には分かります。分かっているつもりです。
「人間だけ生き死にを自由にするのはおかしい」と。
「天寿がきたと思い、その残された時間を如何にすごすのか」と。
本人は心の中で思っているはずです。。。。。。。。おそらく。
【大阪で数日過ごした後】
実家から帰ってきて、すぐに宅急便が届いた。
到着物は例の書類の山だった。
そう、実家へ送られていた請求書の山!!
その中の書類を分類分けしてすぐに、おとんに連絡を入れた
わ:「A社、B社、C社、D社、E社にすぐに連絡入れて。
お金はきちんと払いますって付け加えてなぁ」
父:「おかんはなんでこんなに沢山借金をつくったんやろな」
わ:「俺達育てる為に、必要なお金が足らんかった
時期があったやろ。たぶんそんときやわ。」
わ:「まぁ、今そんなことゆうたかってどうにもならんやろ。じゃ頼むで」
んでもって、今度は書類の中身を吟味していくと。。。。。
「んん。何やこれ?」
その書類は裁判所からの封筒に入っていたものだったが、
呉服販売会社「愛染蔵(あぜくら)」が裁判所に申請した『破産手続開始通知書』
「あのババァ、なんでこんな大事な書類が糠床の上におくねん(怒)」
「まてよ、その前にE社からは『和解しましょう』的な書類が送られてたなぁ」
「ということは。。。。。」
※商品の売買契約は愛染蔵(あぜくら)でしたが、
支払いはE社とのクレジット払いでした。
おとんにこの会社から商品が届いたかどうかをおかんに聞いてもらったところ、
届いていなかったそうだ。
おとんに
「おとんところに書類をおくるから、届いた書類をE社に送って。
それで支払いの督促はなくなると思うわ」
それから数ヶ月も経ちましたが、E社からはもう督促はきていないそうです。
よかったよかったと思う今日この頃です。
P.S. おとんに送った書類は、『支払停止抗弁権』関係の書類です。
※今回は商品が届かず、
代金の請求がクレジット会社からずっと来ていましたので、
「破産手続開始通知書(倒産した会社から届いた物)」
のコピーと
財団法人日本クレジット協会がダウンロード提供している
「支払停止の抗弁書面について」の書類を送ることを指示しました。
ダウンロード先:
https://www.j-credit.or.jp/customer/consult/index.html
支払停止の抗弁書面について(PDFファイル:480KB)
割賦販売法第30条の4、第35条の3の19に関する書面です)
【その後のとある日】
いろいろな書類を捜し分類する合間に、
おかんに対して送られてきた年賀状を整理していた。
その中から、何年も会ってない人・おかんが合いたいであろう人に
連絡をとりたかったからだ。
私はどうしても、この人にだけは、おかんにあって欲しい人がいた。
おかんの若いころの同僚の人で家にも遊びにきてくれていた
「おかんにとっての親友」
である。
以前はわかっていた電話番号も今は結婚されていてわからない。
結婚後の上の名前もわからなかった。
覚えていたのは下の名前だけだったので、
苦労はしたが、見つけ出せた。
電話番号が書いていなかったので、葉書を書いた。
汚い字だったが、
「おかんが病気なので、時間が無くても会いにきて欲しい。」
と書いたと思う。
数日後連絡があり、
おかんに会いにきてくださった。ありがとう。ほんまにありがとうございます。
すこしは、入院中の気晴らしになったかなと思った今日この頃です。
P.S. 次は○○ちゃんにあいたいなぁ~って言っていたそうです。
(なぐったろかぁ(怒))
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